「何を一番愛しているかは、失ったときに分かる」とは西洋に伝わる有名なことわざです。
この言葉の意味や真意を考えていきましょう。
- 愛はそばにあると見えにくい
- 「愛」の真逆は「無」
- 愛するものには心が乱される
- 何かを手放さなければ、何かを得ることは出来ない
- 自分を成長させる為の悲しみ
- まとめ
1. 愛はそばにあると見えにくい
愛している人とずっと寄り添っていると、次第にその感覚に慣れ、当たり前と感じる事でしょう。
周りのカップルを側から見ると、幸せそうだとか、不幸せそうだとか、客観的に愛を捉えられますが、自分たちの愛となると、同然、客観的に見ることは難しいでしょう。
慣れとは怖いもので、付き合いが長く慣ればなるほど、相手への関心や気遣いが減り、マンネリしていきますが、それは相手を既に理解した部分が多いからです。
本当に失ってしまう前に思い出して欲しいのは、多くを理解する過程で、相手を何度も愛したから理解できたという事です。
2. 「愛」の真逆は「無」
愛する感情の反対は、憎しみではありません。
なんの感情も持たない事です。
嫌いと思う所にも、こうだったら良いのにな、という期待や希望が残されているうちは救いがあります。
しかし、無関心だけは、どうしようもありません。
2人で居るのに、無関心で冷めた空気感は、1人ぼっちの孤独よりも、ツラく感じてしまいます。
また愛ゆえに憎悪に変わってしまうエネルギーも大きくなってしまうのです。
相手を失った時、その悲しみをひきづったり、憎しみなど負の気持ちが強まる事も、愛の力が大きかった事の証であり、失って初めて、大きな愛があった事に気がつくでしょう。
3. 愛するものには心が乱される
大切な物を無くすと、焦りや悲しみで平常心を保つことが難しくなります。
時には、心にぽっかりと穴が空き、食事も喉を通らず、何も手につかなくなる事もあるでしょう。
愛するものが自分の手からすり抜けてしまった後は、空虚感に押し潰され、もっと大切にすれば良かったと後悔したり、大切さに早く気が付けなかった自分が情けなく感じられます。
こんな気持ちになるのも、失ったら困るものを失ったからなのです。
必要なものであっても、思い入れのないものだったら、心に受けるダメージも少なくて済みます。
失った事に大きく心を乱されて初めて、愛したものの大きさを、ハッキリ知ることになるでしょう。
4. 何かを手放さなければ、何かを得ることは出来ない
あれもこれも、全てを手にして幸せになる事は出来ません。
それまで大切にしてきた事があったとしても、もっと幸せになりたいと思うのは同然で、色々な事に興味や関心を抱くのが、人の自然な心理です。
新しいものが欲しくなった時は大抵、今持っているものを手放す必要があります。
手放す事を躊躇したり、手放したあとに後悔が押し寄せ、そうなって初めて、自分が愛情を持っていた事に気が付き、新しいものを愛する覚悟ができるでしょう。
5. 自分を成長させる為の悲しみ
愛するものを、ずっと抱きしめ、大切にする事はとても難しい事です。
愛するものを失った時に、愛していた事に、気が付き、一旦立ち止まって、向き合ってみると、失った愛から教えられる事がたくさんあります。
愛を失って失望する事もありますが、その失望から自分の足で立ち上がる事こそが、失った愛への恩返しになるでしょう。
大切なものを失って初めて分かった事は、自分を成長させる為の悲しみであり、大切な事を教えてくれたものに感謝しなければいけません。
まとめ
失う前に大切なものに気が付き、大切に抱きしめて生きていけるのが理想ですが、だいたいの人は、目の前の大切なものに気が付けないまま過ごしてしまいます。
失った後で気が付き、後悔の念に苛まれる事も、取り戻すのに懸命に抗うのも、そしてこれを糧に人として成長するのも、すべて自分次第です。