何故、好きの反対が無関心なのか。
今回はその言葉の意味について、いろんな角度から見ていきましょう。
- 興味がない
- 結果が気にならない
- 愛がない
- 記憶に残らない
- 無関心は嫌いよりネガティブ
- まとめ
1. 興味がない
好きという感情は、とにかくその物事や人物などにとても興味がある状態です。
四六時中思いを巡らせても飽きたらない程、没頭することができます。
時間を忘れて空想にふけったりしても、無駄なことをしているなんて感情は微塵も湧いてきませんよね。
しかし、好きでもないことには関しては全く興味が湧かず、そのことに無駄な時間やエネルギーを費やすことは誰しも無駄なことだと思うでしょう。
誰でも好きなことにだけ集中していたいと思うものです。
その為、好きの反対は無関心であると言うことができるでしょう。
2. 結果が気にならない
嫌いなことに関しては少なくとも結果を気にする人は多いでしょう。
嫌いということは、少なくともどこかで意識している状態を示しているので、結果が気になるのは当然のことなのです。
その対象が人物である場合は分かりやすいでしょう。
仮に嫌いな人が何か失敗をしたり悪い状況にあったとします。
嫌いな人が苦しんでいる姿を見てさすがに可哀想と思う人もいれば、人の不幸は蜜の味とばかりに喜ぶ人もいるでしょう。
その点、無関心であれば結果などは全く気にならないものなのです。
3. 愛がない
愛が憎しみに変わることは往々にしてあることです。
それだけ「好き」に含まれる愛というものは危ういものなのです。
憎しみは嫌いという感情が肥大化したものであり、無関心なことであれば好きや嫌いといった、人間らしい感情など挟みこむ余地がありません。
つまり愛がなければ人間は無関心だと言うことができます。
まだ嫌いだと思えることは、無関心にはなれない状態なので愛があるとも言えるでしょう。
このことを考慮すれば、好きの反対が無関心であると言うことができます。
4. 記憶に残らない
好きなことや好きな人であれば、誰でも記憶に留めておくことは容易いことでしょう。
たとえ何年経ったとしても、好きなことに関しては昨日の出来事のように、鮮明に記憶を蘇らせることが出来るものです。
嫌なことに関しても同じことがいえます。
しかし、全く興味のない無関心なことであれば、記憶に残ることはまずないでしょう。
思いだそうとしても、その部分だけ記憶を抜き取られたように全く思い出せないものです。
嫌なことはまだ記憶に残っているぶんマシに思えますが、全く記憶にないのは、ある種の残酷性が感じられます。
このことから、嫌いより無関心の方が人間としてよっぽど冷酷で残忍であることが伺えます。
5. 無関心は嫌いよりネガティブ
好きの反対が嫌いだと思っている方は多いでしょう。
しかし、無関心であることは嫌いというネガティブな感情が究極に達したものなのです。
嫌いという感情にはまだ未練が含まれますが、無関心は無の境地です。
誰でも嫌なこと、嫌いな人のことは話題として口にすることはありますよね。
嫌いなことでもそれが度を過ぎれば、誰しも考えることすら嫌になってしまいます。
なるべくそのことから解放されたいと思い、一切のことを遮断するでしょう。
このように、無関心が嫌いの究極体であることを考えれば、好きの反対が無関心であることがわかるでしょう。
まとめ
好きの反対が無関心である理由を様々な角度から見てきましたが、嫌いという感情にはまだ関心があるという部分も含まれていることがわかりますね。
このことからも好きの反対が嫌いではなく、無関心だと言うことが出来ます。
そして、無関心であることがいかに残酷なことであるかが理解できたでしょう。
もし嫌いという感情が湧いてきたら、無関心になる前に事態を改善する方向に持っていくことが重要です。