「いつでも愛はどちらかの方が深く、切ない」というのは、「芸術は爆発だ」で知られる芸術家・岡村太郎の恋愛に関する名言です。
この言葉にはどういう意味があるのか、その真意は何かを見ていくことにしましょう。
- 自分のほうが深いと感じると切なくなる
- 相手の方が深いと感じると重くなる
- いつの間にか深さが逆転していることもある
- 同じ深さでもそれに気づかず、二人ともが切ない思いをする
- 人の恋愛を見ても切ない
- まとめ
1. 自分のほうが深いと感じると切なくなる
恋愛において、二人の恋愛感情の深さがまったく同じになるということは、ありえないことではありませんが、かなりレアケースと考えていいでしょう。
「いつでも愛はどちらかの方が深く、切ない」という言葉は、二人の恋愛感情の深さに差異が生じることを前提とした言葉です。
たとえば、相手よりも自分のほうの愛のほうが深いと感じているとしましょう。
その場合、「自分はこんなに相手のことが好きなのに、相手はそれほどでもない。
どうして自分と同じぐらい愛してくれないのか。
どうして、自分のこの気持ちが相手に伝わらないのか。
独り相撲を取っているようで、せつない」と感じるにちがいありません。
つまり、自分のほうが深い恋愛感情を抱いているという自覚があると、人間は「切ない」と感じるものなのです。
2. 相手の方が深いと感じると重くなる
逆に、自分の方はそれほど深い感情を持っていなくて、相手の方がずっと深く自分のことを愛していると感じたとしましょう。
その場合は、相手から見ると「切ない」わけですが、自分から見ると「重い」というように感じるようになってしまいます。
恋愛感情が深くなればなるほど、相手にその思いを伝えようと強く思いますから、結果として、相手を束縛してしまったり、激しく嫉妬してしまうということが少なくありません。
相手からそのようにされると、相手ほど深い恋愛感情を抱いていない人は、「重い」と感じ、その束縛から逃れたいと思うものです。
相手からしてみると、深く愛せば愛すほど、相手は逃げていくわけですから、これほど切ないことはないでしょう。
3. いつの間にか深さが逆転していることもある
人の気持ちは絶えず移り変わっていくものです。
ある時期、これ以上ないほど深い恋愛感情を抱いていた相手に対し、何かがきっかけで、それほど強い気持ちをもてなくなるということもあるでしょう。
逆に、最初のうちはそれほどでもなかったのに、つきあううちにどんどん恋愛感情が高まっていくということもあるに違いありません。
つまり、恋愛感情の深さがいつのまにか逆転しているということが、人間にはよくあるのです。
逆転すると、せつなく感じる人も逆になります。
「重い」と感じていた人が、逆に相手のこと束縛しようとし、相手から重く思われてしまうのは、ほんとうに切ないことと言うしかありません。
4. 同じ深さでもそれに気づかず、二人ともが切ない思いをする
二人がほとんど同じ深さの恋愛感情を持っていたとしましょう。
その場合でも、人間は「二人は同じだけの恋愛感情を持っている」とは感じることができません。
同じ感情を持っている場合、人間はどうしても「自分のほうが深く、相手の方が浅い」と感じてしまうものなのです。
先ほどもお話しした通り、「自分のほうが深い」と感じる人が切ない思いになるわけですから、このケースでは、二人ともがそれぞれ「自分のほうが深い」と感じ、二人ともが切ない思いをするに違いありません。
同じだけ愛し合っているのに、二人で切ない思いをするのが、恋愛というものなのです。
5. 人の恋愛を見ても切ない
自分の恋愛ばかりではありません。
たとえば、恋人のいる友達から恋愛相談を受けたとしましょう。
「どうも最近、恋人が前ほど自分のことを愛してくれなくなったような気がする。
自分のほうがずっと深い恋愛感情を抱いていることが切なくてたまらない」というような内容だったとします。
いかに自分は恋人を愛しているか、その思いが相手に届かないことがいかにつらいかという話を聞けば、こちらも切なくなってくるに違いありません。
このように、人の恋愛を見ても、思いの深さの差が切なく思えてくるのです。
まとめ
「いつでも愛はどちらかの方が深く、切ない」という岡本太郎の名言の意味・真意のポイントを5点紹介しました。
参考になさってください。