「貧しいことは美しい」というのは、マザー・テレサの言葉です。
ここでは、どうして貧しいことは美しいのか、言葉の持つ意味や真意について見ていくことにしましょう。
- 貧しい人は「足るを知る」ことができる
- 貧しい人は生きることの大切さを知っている
- 貧しい人は人の痛みがわかるから人に親切
- 貧しい人は自分よりも貧しい人にやさしい
- 貧しい人はありのままの自分を見せる
- まとめ
1. 貧しい人は「足るを知る」ことができる
仏教には「足るを知る」という言葉があります。
これは、自分に与えられたもの、自分の持っているものに満足し、むりにそれ以上を求めようとしないという意味です。
「貧しいことは美しい」という言葉には、この仏教の言葉に通じる精神があると考えていいでしょう。
たとえば、コレクションを趣味にしている人の心理を考えてみましょう。
コレクターは「これだけコレクションしたのだから、もうじゅうぶんだ」と思い、それ以上のコレクションをしないということにはなりません。
コレクションが増えれば増えるほど「もっとほしい」と思うのが、コレクターの心理でしょう。
人間は、お金や物をたくさん持てば持つほど、「もっと欲しい」と思うものなのです。
逆に、ものを持っていない人、貧しい人は、与えられた少量のものでもじゅうぶんに満足することができます。
「これでももうじゅうぶん」と満足することができるのが、「貧しいことは美しい」という言葉の真意と言っていいでしょう。
2. 貧しい人は生きることの大切さを知っている
人間、すべてに恵まれていると、生きることの大切さ、生きていることの幸せを改めて認識することはなくなります。
生きていることが当たり前のように感じられてしまうからです。
貧しい人は違います。
貧しい環境に置かれると、懸命に生きようとしなくてはなりません。
命を維持することに真剣にならざるをえないのです。
そのため、「生きるということはいかに大切か」を、身をもって知ると考えていいでしょう。
大きな病気をすると、人間は改めて生きることの大切さ、生きているありがたさを実感するものですが、貧しい人もそれと同じと考えていいでしょう。
3. 貧しい人は人の痛みがわかるから人に親切
貧しい人ほど、人に親切にすることができます。
それは人の痛みをわかっているからにほかなりません。
豊かな人はどうしても自分の損得ばかり考えてしまい、自己中心的な言動をすることになってしまいがちです。
それは、恵まれた環境にいると、人の痛みがわからなくなってしまうからでしょう。
貧しい人は、日々の生活の中で、さまざまな精神的な痛みを経験しています。
ですから、人の痛みもわがことのように感じることができるのです。
人の痛みがわかれば、自然に人に親切にすることができるでしょう。
「貧しいことは美しい」という言葉には、「貧しい人は人の痛みがわかるから人に親切」という真意もあるのです。
4. 貧しい人は自分よりも貧しい人にやさしい
マザー・テレサが「貧しいことは美しい」という言葉を発したのは、あるシーンを見たからだと言われています。
テレサが貧しい人に食べ物を与えました。
すると、その人は自分よりも貧しい人にその食べ物を与えたのです。
これは、なかなかできることではありません。
自分も貧しく飢えているのに、人を助けようとしたその心は、まさに「美しい」というしかありません。
このように、貧しい人は自分を犠牲にしても、自分より貧しい人にやさしくするというのが、この言葉の意味と言うことになるでしょう。
5. 貧しい人はありのままの自分を見せる
人間、豊かになればなるほど、自分を飾って見せようとする傾向が強くなります。
自分よりもさらに豊かな人に対する羨望や、嫉妬心から、自分を偽って人に見せるのが、豊かな人の特徴と言っていいでしょう。
貧しい人は違います。
自分を飾って見せる必要もありませんから、いつでもありのままの自分でいることができるのです。
虚栄心を持たず、ありのままの自分を見せることができるというのも、「貧しい人は美しい」の真意と考えていいでしょう。
まとめ
マザー・テレサの言葉「貧しいことは美しい」の意味・真意を5つ紹介しました。
この言葉を理解するための参考になさってください。