叱られると落ち込んだり、イライラと反発したくなります。
しかしながら叱ってくれる人はとても大切な存在なのです。
その理由についてまとめました。
- 叱る相手を成長させたいと思っているから
- 叱ることで奮起させようとしているから
- 誤った道を進もうとしているのを止めようとしているから
- 叱ることで相手を守ろうとしているから
- 愛情があるからこそ本気で叱れるから
- 叱るということは期待をしているから
- 叱られることで耐える力や反省する力が身につくから
- 褒めることより叱ることの方がエネルギーを使うから
- まとめ
1. 叱る相手を成長させたいと思っているから
相手に成長して欲しいと思うからこそ、叱ることはよくあります。
褒めて伸ばすということもありますが、時には、批判されるべき点や、非難されるべき点について、叱られることで、自分の誤りに気付け、新しい方法ややり方を見つけることにもつながります。
甘やかされるだけでは、現状維持か、それ以下に脳も体も退化してしまいます。
成長させたいからこそ、叱り、自分で生きることを身につけて欲しいのです。
2. 叱ることで奮起させようとしているから
叱ることで、相手の奮起ややる気を促すこともあります。
常に褒めてばかりでは、脳が刺激を感じずに、成長や思考がストップしやすくなるのです。
アメとムチの使い分けをすることで、より人がやる気を起こすことはよくあります。
発破をかけられて、「何くそ!」と敵愾心や向上心に燃える人もいるでしょう。
あまり怒りすぎると、人は委縮してしまいますが、適度な叱る行為は、相手の気持ちやテンションを上げる効果があるのです。
3. 誤った道を進もうとしているのを止めようとしているから
誤った道を歩もうとしている時、危険な選択をしようとしてる時、相手を止めるために叱る人もいます。
相手のことがどうでもよければ、叱ることなんかしません。
そして、叱ることで、きっと相手は気付いてくれるだろうと信じているのです。
放っておいて失敗してもいい、勝手にすればいいと思っている人は、あなたのことを叱らずに放置することもあるでしょう。
4. 叱ることで相手を守ろうとしているから
とっさの判断で叱ったり、手が出てしまうこともあります。
子供が、火のついたコンロに近づいたり、車の往来が激しい道路に飛び出そうとしたりした時、「危ない!」と感じて、子供守り、叱る母親は多くいます。
嫌いだから叱っているのではありません。
大好きで、守りたいからこそ叱るのです。
本当に思いやりが人だからこそ、まっすぐと相手を見て叱れるのです。
5. 愛情があるからこそ本気で叱れるから
相手へ愛情がなく、無関心であれば、叱ることはしません。
愛情があり、ちゃんと育てたい、教育していきたい、指導していきたいと感じるからこそ、叱ることができるのです。
優しくて穏やかなことも大切ですが、時に叱ることで、愛情を示すことも大事なのです。
6. 叱るということは期待をしているから
叱るという行為は、相手への期待の裏返しです。
相手に何も期待していない、これ以上は成長しない、変わらないだろうと感じた相手には、叱ることはしないのです。
叱ることで、何かが変わる、もっとこの人は良くなるんだと、確信してるからこそ、叱ることができるのです。
7. 叱られることで耐える力や反省する力が身につくから
叱られることで、自分自身で反省し、行動を改めることを覚えます。
何度も同じことで叱られるということは、反省せず、学習していないということです。
それでも根気強く叱ってくれる人は、相手に対して愛情と期待を持っている証拠です。
まだできなくても、きっとできる、反省してこの人は変われるのだと思うからこそ叱るのです。
そして、叱られるということは心に痛みを伴います。
心の痛みを受け、耐えて、さらに成長するために努力する、そうした我慢と反省と挑戦の繰り返しによって、人はより成長することができるのです。
8. 褒めることより叱ることの方がエネルギーを使うから
褒めることというのは、褒める側も気分がよくなる行為です。
逆に、叱ることは、エネルギーを多く使い精神を削るような、辛くて苦しい行為なのです。
相手を想って叱っているのであれば、自分の心も痛み、胸が詰まるような思いがします。
疲労感も大きく、また相手を叱ることで、自分自身にもその言葉がかえってきます。
そうした痛みに耐えながらも、相手に成長して欲しい、頑張って欲しいと思うからこそ、叱ることにエネルギーを注ぐことができるのです。
まとめ
叱ることはエネルギーを要する行為です。
そして、現代では真剣に相手を叱れる人というのは少なくなってきました。
パワハラだ、モラハラだ、虐待だと、世間が過敏になっていることもあるからです。
本当に愛情を持って叱るというのは、叱る側も痛みを背負うことです。
その痛みを背負って想いやってくれる人に、感謝を示さなければなりません。