弥生時代に生きた人々の絵なら、だれでも一度はどこかでみたことがあるものです。
必ず穏やかな田園地帯に、軽い服装で、髪飾りなどして、稲刈りとか、している絵がよく、あります。
さて、弥生人の顔について、考えてみましょう。
- 弥生時代の気候
- 弥生の暮らし
- 弥生の顔
- 絶海の孤島、日本
- 弥生の遺跡
- 古墳と埋葬
- 弥生人の背格好
- 自然の暮らし
- まとめ
1. 弥生時代の気候
だいたい三千年ほど前は、弥生時代でした。
さらに三千年前はもちろん、縄文時代で、気候変動がはげしく、裸だったり、毛皮を着たり、厳しい暮らしが特徴でした。
海面も、今よりだいぶ、高く、博物誌などによると、北極や南極の氷などが、だいぶ溶けるほど気温が高めだったようでした。
しかし、弥生海退と一言で、言われますが、やがて気候が穏やかで、温暖になるのが、弥生時代です。
いまのような、海面の高さで、日本の各地の地層や暮らしの痕跡から、200m級の海面変化だったことがわかっています。
2. 弥生の暮らし
弥生時代に、海面が下がり、広々とした、平野があらわれ、人々は山からおりて、畑を作り、村をまとめ、穏やかな気候に、だんだん増えて、国としてまとまりました。
皆の暮らしが落ち着いた村人、農耕や商いに仕事や生活が安定してきたのです。
土器が焼かれ、高床式倉庫や神殿もできました。
3. 弥生の顔
それはもう古い神話時代のはなしですが、弥生時代には文字も伝わり、なんだか本やドラマなどにも、よく絵や実写で目にすることができます。
やはり、農耕社会で、狩猟に支えられた縄文人の厳しい野性味は、うすれ、穏やかで、質素な日本人らしい顔に見えます。
4. 絶海の孤島、日本
古くは地続きだった大陸から渡ってきたという説や、山から降臨したという話な、日本人。
アジア大陸のこんな火山列島に住み着き、海が引いた平野に畑をつくり、魚を取り、鳥をかい、穏やかに暮らしていたかんじが、弥生人の顔にはよく現れています。
背は低いが、すばしこく、よく働く様子が伝わります。
5. 弥生の遺跡
やはり、弥生時代に遺跡にのこるのは、神器にもある、鏡です。
武器や農具もさることながら、狩におわれた縄文にはない、飾りや化粧も、もちろん流行ったに違いありません。
祭りのこれだけ好きな日本ですから、村や町ができれば、着飾り踊り、集まることも増えたに違いありません。
6. 古墳と埋葬
また、弥生時代はさかんに作られた、巨大な古墳。
また、九州や本土の平野にも小さいながらこんもりした古墳がいまだに大切に守られています。
死者を弔う弥生人は、おだやかに、死者を悼むゆとりがあったのです。
牙を向き出すような厳しい狩猟洞窟暮らしから、寄り添う町の暮らしになり、集まり、話し合い、また、戦い、その顔には、仕事をする誇り、落ち着いた物腰があったに違いありません。
7. 弥生人の背格好
絵で見るかぎり、日本の弥生人は決して背が高くもなく、太ってもいません。
土器をみても、厳つい縄模様の丈夫なばかりな縄文土器からしたら、比較にならない、うすく、滑らかで多種多様です。
村に落ち着き家をつくり畑をつくり、商いなどしていた穏やかさはあるけれど、現代のように世界からあつまる食料をどんどん食べるなどありえませんから、東洋人らしい、まざりけのない顔に、そこそこの食べ物で小柄だったのです。
8. 自然の暮らし
忘れてはならないのは、弥生時代には、まだ、電気がありません。
もちろん、医療もいまどきな最新医療とは無縁です。
しかしながら、開発とも無縁な、いまでものこる、日本の豊かな自然に耳をすませ、天に祈る暮らしは、どんな顔をつくるだろうかと、思ってみてください。
我々現代人の電車で仕事にしかめ面でむかい、小難しい仕事をする顔を、仕事からはなれ、うまい農作物を作る労働を与え、電気なし、新聞なしな、大自然のなかにほうりこんでも、弥生の顔になるとしたら、それはきっと、弥生人の顔そのものと言えます。
まとめ
さて、簡単な縄文から弥生への移り変わりのポイントだけ取り出しましたが、研究など詳しく調べると、骨格から復元とか、博物館なんかで、見ることもできる、弥生人の顔。
ほかならぬ私たちのご先祖ですから、遺伝子はつながっているはずです。
飛鳥時代にはまた、ちがう、歴史のひろがりや、日本独特な気候の変化や、火山噴火、地震など、弥生に学ぶことはたくさんあります。
どんな顔をしていたのかな、とたまに星空を仰ぎながら、思いをはせてみましょう。