感謝の気持ちがない人はプライドが非常に高く自尊心の塊。
気持ちを持つこと自体に抵抗があるため、そうしなくていい理由が自己の中で確立しています。
- あらゆる面で自信家
- 他者の評価基準は上下関係で格付け
- 自分に甘く、他人には辛い
- 謝罪する気持ちもない
- 善悪の基準が自己中心的
- 自分の思った通りにならなければ気が済まない
- 注目されたがり
- 困った時は誰かに丸投げ
- まとめ
1. あらゆる面で自信家
感謝の気持ちがない人は、高い自尊心を守るため他者より常に優位に立とうとします。
そのため自分の優秀さを必要以上に周囲にアピールすることが多いのです。
実際に優秀かどうかは問題ではなく、あらゆる理由付けで自身が優秀であると鼓舞したがるのです。
そうして本人は安心感を得ており自尊心を保てているため、それを脅かす存在が現れた場合は疎ましく思う傾向があります。
2. 他者の評価基準は上下関係で格付け
初対面の相手に対峙する時は、まず自分より上か下かで値踏みをします。
自分は大概のことにおいて中の上以上だと考えているため、社会的地位、権力、学歴、容姿、家柄などわかりやすい表面的な価値基準で明らかに自己を上回る相手以外は基本的に自分より下と思っている場合が多いです。
3. 自分に甘く、他人には辛い
自分に対しては物凄く甘いため、失敗しても自己を顧みることはせず、むしろそれを他の人や物のせいにします。
たとえそれが筋の通っていない理屈でも自己の保身が最優先であるため、無理矢理にでも自己の正当性を訴えます。
時にはそこで事実を捻じ曲げることすらありますが、そのことを悪いこととは微塵も思いません。
そのいっぽうで他人の失敗は些細なことでもここぞとばかりに暴き立てたり公に晒したりするので厄介です。
4. 謝罪する気持ちもない
プライドが高いので、たとえ自分が悪くても人に頭を下げることはかなりの抵抗があります。
謝りたくないので「仕方がない」「よくあること」という台詞が代わりに出てきたりします。
とにかく自分には非情に甘いのです。
その反面、他人にはちょっとしたことでも謝罪をされなければ許せないという厄介なタイプで、謝罪を聞くまではしつこく嫌がらせをしたりします。
5. 善悪の基準が自己中心的
善悪の基準が自己中心的であるため、善悪の判断において公平な基準で客観視することが出来ません。
事実や理屈がどうであれ、自分が悪と決めたら悪であり、善ならば善なのです。
そこに道徳観念は皆無です。
そして自身は常に善人で正義であると考えています。
そのため、時には悪事も平然とやってのけますが、本人の中にはこれは正義であるという自負があるため、その正義(言い分)を自己の免罪符にしています。
6. 自分の思った通りにならなければ気が済まない
基本的に我儘な性格であるため、自分の思った通りに物事が運ばなかったり周囲が動かなかったりすると激しい憤懣を抱きます。
そういうところの精神年齢はとても幼いため、自分の我儘を無理矢理にでも押し通そうとします。
ただし、それで自分の立場が悪くなることは嫌なため、巧みに自己を保身しつつ人を動かして物事を自分の都合良く物事が回るよう立ち回ります。
7. 注目されたがり
自信過剰かつ自意識過剰であるため、注目されることが好きで、またいつも周囲から注目されていると思っています。
そのため、自分以外の人が自分よりも良い意味での注目を集めているときは内心少なからず妬ましくかつ疎ましく思っているので、機会を見計らっては足を引っ張ってその人の評価を下げようと目論んだりします。
8. 困った時は誰かに丸投げ
基本的に責任感は乏しい人が多いです。
困った時は自分より下と格付けしている人にすぐに丸投げします。
それでずっと危機的状況逃げ切ってきたため危険回避能力に乏しく、かなり困った事態になるまで気付くことが出来ず抱え続けていることが多々あり、どうしようもない危機的段階で他者からの指摘でようやく発覚するのです。
また人への物事の頼み方を知らないため「助けて欲しい」とは口が裂けても言わず、格付けが下の相手に対して「命令」で「指示」を出してそれを全て丸投げします。
この場合、実際の権限の有無は問題ではなく、自己の基準であくまで自分が上であり、相手は下であれば良いという自分本位の理屈なのです。
まとめ
これらのことから、感謝の気持ちがない人というのは性格的に非常に精神年齢が稚拙な人が多いと言えます。
人に感謝の気持ちを抱けないというのは、感謝するということが他人に頭を下げること、ひいてはそのことが「負ける」ことという思いが少なからずあるからで、それはプライドが高い本人にとっては耐えがたい屈辱であり恥辱と感じることだからなのです。
よく大人の対応として「負けるが勝ち」という言葉がありますが、そのほんの一時の本人にとっての「負け」を認めることがどうしても出来ないため、人に対して「ありがとう」と素直に言えないのです。
また、素直に言えないだけで脳裏をかすめているのならばまだ救いがありますが、中には長い年月をかけてそれをしないための理屈や言い分を自己の中に培い続けてきたために、それが信念として揺ぎ無く成立してしまい、言わない・言わなくていい・言う必要がないという理由が本人の中で確立してしまっている人がおり、それによって感謝の気持ちを全く抱けなくなってしまっている人もいます。
ありがとうの一言があれば難なく済む話も、それ無いがために無益な軋轢や無用な悪循環を生むわけで、その軋轢や悪循環のために更に様々な人間関係の弊害をも多々生み出すわけです。
それを考えれば、たった一言の「ありがとう」を素直に伝える方がずっと良いと思うのですが。
無駄に高いプライドこそ無価値で無用の長物ではないでしょうか。