正しく論じる、と書いて正論。
物事をなんでも知っているかのように達観した、正論ばかり言う人にはどういった特徴があるでしょうか。
- 知識が豊富である
- 意見をよく聞いている
- 話の組み立てがうまい
- ロジックがしっかりしている
- 推測はしない
- 言葉数が少ない
- 余計な火種をうまない
- 感情で語らない
- 知らないものは知らないと言う
- 納得させるだけの話術を持っている
1. 知識が豊富である
相手に自分の意見を納得させるためには、やはり知識は豊富である必要があるでしょう。
しかも、その時の議題のみに極端に詳しいだけでなく、広く物事を知っている必要があります。
正論が必要とされる物事の多くは、その他の分野や問題を違った角度から切っていく視点も必要とされます。
それらの考え方の土台となってくるのは、日頃から時事や社会、哲学など物事への関心と興味への深い裏打ちであるといえます。
2. 意見をよく聞いている
正論は大抵、議論の一番最後にやってきます。
なぜなら、正論がでた瞬間議論が終わるからです。
なぜ終わるかといえば、誰も反論できないからです。
すべての論者を納得させるためにはその人たちの発言すべてを抱擁する必要もあります。
そのため、正論を繰り出す人というのは他人の意見をよく聞いており、安易な発言をしません。
一見、議論に参加していないようにみられがちですが、よく自分の中で他人の意見を反芻し、咀嚼しているのです。
3. 話の組み立てがうまい
正論も相手に伝わらなければ意味がありません。
また論者が多い場面では全てを納得させるために少々話が長くなることもあります。
そういった場合に、聞き手にきちんと最後まで聞いてもらうための話のテクニックが必要となってきます。
やみくもにしゃべり、結局何を言いたいのかわからないような人はどんなにしゃべっても正論と受け取られないでしょう。
話のうまい人間とは、はじめに結論を述べ、その結論になぜ至るのかの材料そして情報の組み立てをドラマックに演出し、相手がどうしても話を聞かざるをえないような、注目せざるを得ないような特性を備えているものです。
4. ロジックがしっかりしている
当然、その話に矛盾があっては仕方がありません。
首尾一貫した哲学と主張が話の中心を通っている必要があります。
議論が大きく長くなればなるほど、それらをまとめ上げる結論とは難しいものですが、正論を言う人というのは1本の強い筋を通しており、その1つの論理によって課題をクリアしてしまいます。
よく会議などで議論が長引くと、当初の問題から逸脱し議論の中で課題を生んでしまい解決すべき問題や発端が迷子になることがあります。
それらに決して飲み込まれず、課題の本質を見つめ続け1つの主張で解決へと導くのが正論を言う人の特徴の一つです。
5. 推測はしない
安易な推測は論理の破綻の前触れです。
推測は想像にすぎませんから、それが覆った際に補うものが必要になり取り繕うことになります。
つまり信頼度の低下であり正論の決壊につながります。
人の意見をよく聞く、ということにもつながっていますが事実確認のとれないものについては言及を避ける傾向もあります。
例えば「宇宙人がいるか?」という問いに「いると思う」という推測も避けるでしょう。
断定できないものなので「観測できないものには言及できない」といった一見消極的に見える回答をするのではないでしょうか。
極めて理系的ともいえますが、論理の破綻こそが正論の敵ですので石橋を叩いて渡るが如く、安易な推測は避けるはずです。
6. 言葉数が少ない
正論とは論破とは似て非なるものです。
論破するために正論が必要かもしれませんが、たいていの場合正論とは短文であることの方が多くあります。
長文の結果として正論が飛び出すことも多々ありますが、正論そのものは短くまとまることの方が多いでしょう。
偉人たちの名言に短いながらも力強いメッセージがあることに似ています。
そしてこういった正論を実際の論議の中で出して来る人間というのは、積極的に議論の中心にいるよりも寡黙に聞き耳を立てている人間の方が多いものです。
言葉数が少なくなればそれだけ発言時の注目も高まります。
より一層、正論のインパクトが強くなるのです。
7. 余計な火種をうまない
問題の最中に問題を生み、議論の出発点を不明瞭にすることもありません。
どんな議論の場でもエキサイトしてくると冷静さを失い自分の意見を押し通すことに尽力する者が現れがちです。
そんな風に喧嘩になってしまっては自分の発言の機会にさえ悪影響を与えます。
もちろん、議論の中心に関することであれば議題として提案することもありますが、大抵着地点のみえるものの方が多いでしょう。
そして、その着地点をよく見極めており、そのギリギリのところで正論を繰り出すのです。
8. 感情で語らない
正論には裏打ちが必要です。
推測も危険です。
極めて落ち着いてロジックを組み立てて話すことが必須です。
そしてそれらは感情に押し流されては出てきづらいものです。
熱く、熱っぽくつばきを飛ばして語ることも情熱を伝えるために必要な時があるでしょう。
しかしそんな時でも言葉を組み立てる脳内は極めて落ち着いていたりするものです。
9. 知らないものは知らないと言う
知らないことを恥だとは考えません。
むしろ知ったかぶりをすることのほうが危険であり正論への回り道になります。
正直にしらない情報については教えをこい、それをすぐに自分の論理の組み立てへの材料とするのです。
10. 納得させるだけの話術を持っている
いくら正しいことを言っていても、議論というのは人間と人間がするものですから感情が入ることも、もちろんあります。
「正しいことを言っているんだろうけど、なんか気に食わない」ということもあるでしょう。
しかし「正論ばかり言う人」というのは周りがそれを容認し、信頼しているものです。
嫌味がないのです。
人間的な素養の話になってしまうのかもしれませんが、そういった周辺環境への配慮や思いやりができてこそ、正論を日常的に織りなすことができる人になるのではないでしょうか。